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【ヒトと生き物 インタビュー企画】第1回 黍原 豊さん(三陸駒舎)
今回から、『ヒトと生き物 インタビュー』と題してシリーズものでインタビュー企画を始めることにしました。
内容は、シンプルに言えば、面白い農業をやっている方や動物と関わる暮らし方・働き方をしている農家さんなどに私がインタビューをさせていただくというものです。
この企画は、主に
- 農業、人の暮らしと関わる動物、田舎暮らしなどに興味がある
- 農業で(それ以外でも)なにかやりたいと思っているけれど踏み出せずにいる
そんな方に向けて、現状から一歩踏み出すきっかけになるような読み物を作りたいという思いから考えついたものです。
私自身も、現在進行形で農業に携わっており、自分も、そして自然や生き物も豊かになれる働き方を探って悩んでいる若者です。絶対に得られるものがある内容になっていると思いますので、ぜひ読んでいってください。
「ヒトと生き物 インタビュー」企画、記念すべき第一回目の人物は黍原 豊(きびはら ゆたか)さん。
岩手県釜石市で、馬を通して生きる力を学ぶ一般社団法人三陸駒舎(さんりくこましゃ)の代表をされています。
もともとは自然保護に興味を持っていたという愛知出身の黍原さんが、岩手で子どもたちと関わるようになった経緯。黍原さんの思考がひとつの形に至るまでに、どのような経験をし、考え、悩み、そして行き着いたのか。じっくりお話していただきました。
自然保護から環境教育へ(大学時代〜設立)
黍原さんは、岩手大学の農学部出身。林政学研究室に所属していました。
「農業」と「教育」という、従来は交わらないような2つの分野が、黍原さんの中でどう溶け合って行ったのか。インタビュー前から私が気になっていたのはそこでした。
黍原さんも最初から関心があったわけではないようですが、自分の中のどういう要素がそちらに振れるきっかけになったと思われますか?
黍原さん:漠然とはしてましたけど、以前から自然保護に興味がありました。ただ、自然保護だったり、環境問題を訴える人って批判ばかりしていて、、、森林伐採だとかそういう問題にも「反対!反対!」っていうだけでは、何も変わらないじゃないですか。環境問題は、暮らしとか人、私たちの足もとの問題なのだから人が変わるべきと思うようになった頃に「環境教育」という言葉と出会いました。
大学3年から4年に上がるときに、このまま就職するのもなにか違うと感じて休学したという黍原さん。その休学期間に、自然保護系のボランティアとして参加していた団体が、子どもキャンプをすることになって、そこで初めて子どもと関わったそう。
黍原さん:関わり方とか全然わからなかったですよ(笑)。でも、子どもの頃からこういうこと(環境教育)やるのっていいなと思って。
他にも、本格的な山里の文化体験ができるバッタリー村というところを訪ねたりして、黍原さんの中で「環境」と「教育」という2つの分野が混じり合うようになっていきました。大学4年時には、「自然学校と地域作り」というテーマで卒論に取り組んだそうです。
私:私も農学部に進学したりしたのは環境問題に興味があったからなんですけど、私は根っこの部分に「動物好き」っていうのがあって、「環境」と「動物」の2本軸が私の中心に通っているんですね。黍原さんは今、馬と一緒に活動されてますけど、お話きいてると、動物と関わることにもとから興味があったわけではないんですね。
黍原さん:なかったです、最初は。動物にもなかったですし、人にもそんなに興味はなかったです(笑)。自然保護をどう解決していくかっていうことを考えていたら環境教育と出会って、その後馬に出会って、徐々に関わるようになっていきましたね。
三陸駒舎の設立は、東北大震災で苦しんでいる子どもたちと出会ったことがきっかけ。現在は、自分を上手く表現できない子や周りと馴染めない子などにも手を差し伸べていますが、自然保護や環境問題へ、環境教育という分野からアプローチしていく取り組みをやっていきたいという思いは持ち続けているそうです。
私:大学卒業時から三陸駒舎設立までも色んな経験をされたと思いますが、その中で変化していったり、それまでの自分に加えられていった考えなどはありますか?
黍原さん:うーん、なんだろう。
世間的に話題になっていたりしたのもあって、「持続可能性」ということを考えるようになりましたかね。地域の持続可能性を考えたりする場合も、子どもたちが健全に育つ場がないと、結局はその子たちが大人になって地域社会を作っていくわけですから。
私:今の活動にも繋がってきますね。
黍原さん:はい。三陸駒舎の活動も、今はメインが子どもたちのケアになっていますけど、その活動も持続可能なものでないといけないので。
私:ちなみに、三陸駒舎の活動は今後誰かに引き継いでいったりということは考えていらっしゃるんですか?
黍原さん:引き継ぐ、、、わかんない!(笑)
ここはまだ完成系ではないんです。エコ資源を使った施設の運用や、馬を使った仕事を新たに生み出すこと、地域の循環への貢献なども一気にはできることではないので、できる範囲でやっていきたいです。
大学卒業後、黍原さんはさまざまな活動をしていく中で日本におけるホースセラピーの草分け的存在である寄田勝彦さんと出会い、そして馬と出会います。いるだけで子どもたちの心をほぐす馬の力に「勝てない」と強く感じました。この出会いから、三陸駒舎の設立へ事業が進んでいくことになります。
お金以外で地域をまわす
私:YouTubeチャンネルも見させていただいたんですけど、設立時にかなりたくさんの方、しかも変わるがわる色んな地域の方がお手伝いとして参加されてましたよね。たくさんの方に協力してもらいながら場を育てていく、というようなことは活動をする上で意識されてたりしますか?
黍原さん:そうですね。やっぱり一人ではできることは限られてますし、人口減少が起きてる中で地域だけで必要な人手をまかなうのは難しいところもあるので外部との接点を持っておくことは大事だなと思っています。
私:そうですね。
地方の地域は縮小していっていて、それはなかなか止められない現象だと思うんです。何かしら地方のためになるような活動をしていても、人口が減って財源が集まらない地域にはより人が集まらなくなってしまう。世界がそういう方向にどうしても進んでしまう中で、ここ釜石で、しかも持続可能なことを掲げて活動していくことの難しさなどは感じていますか?
黍原さん:経済的な循環を生むというよりも、お金に換算されない自給的な支え合いや関わり合い、地域内での繋がりなどが大事なのかなと思います。
人がいないからこそ自然資源は余っているわけじゃないですか。だから、近所の方にタダで農作物をいただいたりすることもあります。昔ならありえないはずですけどね。(笑)ただその代わりに、草刈りをお手伝いさせてもらったり、畑に馬を放して直接食べさせたりする。お金にはならなくても価値提供は色々とできます。しかも、ここ(三陸駒舎)を卒業していく子たちの中は馬の扱いがある程度できる子もいるでしょうから、そういう子たちに畑まで馬を連れていってもらうなどすれば、仕事も生み出せるんです。
黍原さんのお話を聞いていると、三陸駒舎設立の時のように、まだ地域に入ったばかりだったり、人が集まらない時はSNSなどを通じて外部の人を呼び、逆に地域には新しい価値や循環の形を生み出すというように上手くバランスをとっていて、人の流入にもいい影響を与えているように感じます。
正解はない、そして馬がいる
頭ではわかっていることですが、子どもとの付き合い方にこうすべきという明確な答えはないのでしょう。
今回の取材で三陸駒舎に通っている家族を何ケースか間近で見させてもらいましたが、繊細な子どもたちをいざ目の前にすると「下手なことは言えないな」と私は思ってしまいました。自分自身も大人に傷つけられたと感じたことが少なからずありますし、逆に誰かを傷つけてしまったかもしれないという思い出もあります。彼らの邪魔をしたくないと思うほど、薄っぺらい言動しかできなくなってしまうような気さえしました。
私:私には(三陸駒舎のスタッフの皆さんのように接することが)できないなと思いました。
黍原さん:子どもとの付き合い方に正解はないんです。例えば、子どもになにかされたと…蹴られたりしたとしますよね。それに対してこちら(大人側)がいやだな、と思ったことは事実なんです。伝え方を工夫する必要はあるけれど、事実を伝えることはその子のためにもなる。そういうふうに考えています。
私:具体的に気をつけていることはありますか?
黍原さん:定期的にスタッフでミーティングを行っています。子どもたちの間で小さなトラブルがあった、それに対してこういう対応をした、というように情報を共有するんです。実際にその場でした対応が良かったのかは、結局のところわかりません。しかも、もし同じことが起こったとしても子どもたちの抱える事情や気分はその時々によって変わりますから、やはり正解というのはないと思うんです。でも、お互いの見聞きしたものを共有し合って皆で考えていくことは大切だと思います。
私:正解が何かを決めるのではなく、子どもたちとの間で起こったことを「共有」することが大事なんですね。
黍原さん:はい。スタッフの対応を完全に統一することもできませんし、しなくてもいいと思っています。いろんな人がいることを知ることも子どもたちにとっては学びになりますから。ただ、事実は受けとめてもらう。あとは、馬がいてくれます(笑)。
私は端から見ていて大変に責任ある仕事だと感じましたが、黍原さんは意外にも何かしている気はないと言います。最低限のことだけ気をつけて、あとは馬に任せる。そして子どもたちに任せる。
生きるということ、成長するということは上から押し付けることによってではなく、そこにあるものから自身の力で学び取っていくことなのかもしれません。
ゆらいちゃんのこと
最後に紹介したいのは、黍原さん、そして妻の理枝さんの愛娘、ゆらいちゃん。
三陸駒舎のある古民家は、彼女にとって我が家でもある場所です。変わるがわる子どもたちがやってきて、お父さんとお母さんが目の前で他の子に(こういう言い方が正しいのかわかりませんが)かまっているという日常。これを彼女はどう受けとめているのか、私は気になっていました。
ゆらいちゃんはテンポよく生きている子です。
興味の対象は次から次に移り、さっきまで目の前にいたはずなのに気づかないうちに全然違うところで新しい遊びを始めていたりします。
でもけして我慢のできない子でも、自分とはちがう友達を否定するような子でもありません。
三陸駒舎に通っている子たちの中には、ゆっくり遊びたい子や一つのことだけやりたい子もいます。
考え方が極端な子もいて、まるで世界の縮図のような空間です。
そんな多種多様な空間で、ゆらいちゃんは自分とちがうお友達と仲良くするだけでなく、この場(三陸駒舎)に一番慣れている人間として上手にリードしてあげたりもしていました。まだ馬のお世話の仕方がわからない子に対して、少なくても役割を与えてあげたり、自分の常識を振りかざしてくる子に「学校に行ってなくても常識はあるよ」と教えてあげたり。
お父さん(黍原さん)やお母さん、スタッフの皆さんと同じようにはではなくても、ゆらいちゃんなりにできることをやっていて、「ちゃんと見ているんだな」としみじみ感じました。彼女には、会うたびに大切なことを教えてもらっている気がします。この場を借りて、お礼を言わせてください。ゆらいちゃん、ありがとう!これからもよろしく!
いつでもそこに、馬がいる
私がインタビューで三陸駒舎を訪れたのは土曜日の朝。
10時から1時間ごとに変わるがわる子どもたちがやってきて、それぞれやりたいことをやって帰って行きました。冬休み期間なのもあってお昼前からは、デイサービス利用の子たちも訪れ、三陸駒舎は終始にぎわっていました。
馬に乗って近所をお散歩に出かけたけれど、途中でお父さんと手を繋いで雪の上を歩くことにした男の子。馬はまだ少しこわいのでヘルメットを10秒だけかぶったり、5秒だけ乗ったりした子。黍原さんの奥さんが用意した棒パンを焚き火で焼いて食べる子たち。自転車をバイクに見立ててエンジンをかけている子。犬のぶん太と遊んでいる子。
三陸駒舎にはどんな思い出の中にも馬がいます。
設立当初は、1ヶ月に10人程度だったのが今や延べ200人の子どもが訪れる地域の大切なコミュニティへと成長した三陸駒舎。古民家のリフォームをしていた頃から変わらないのは、誰か一人の人間によって導かれていくのではなく、たくさんの人や馬の手を借りて、この空間を育てているということ。三陸駒舎は、これからも発展していくでしょうが、それは黍原さん一人の見る未来ではありません。そしてそれこそが面白いのだと思います。
暖かくなったら、また訪れる機会があると思うので、そのときには三陸駒舎がどんな空間になっているのか今から楽しみです。きっとまた新たなお友達が増えてにぎやかになっているのでしょう。
黍原さん、ご家族の皆さん、スタッフの方々、遊びに来ていた子どもたちや親御さん、そして馬を含む三陸駒舎の愉快な仲間達!今回は本当にありがとうございました!
※取材は2021年1月16日、17日のものです。