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【ヒトと生き物 インタビュー企画】第2回 小井田立体農業研究所
「ヒトと生き物 インタビュー」企画第二弾は、胡桃とミルク自然卵の農場小井田立体農業研究所に行ってきました!
この企画は、農業や生き物との関わりに興味があるけれど、一歩踏み出す勇気が持てない方の背中を押したいと思って始めました。それが2回目にして、生まれながらの農家の方です!
現在、小井田立体農業研究所は2代目の重雄(しげお)さんと3代目の寛周(ひろのり)さんによって営まれていますが、創始者は初代の与八郎(よはちろう)さん。与八郎さんがひらいた農場を、お二人がさらに研究を重ねて、今の形にしていきました。お二人は、初代ではありませんが、相当の挑戦者。そして探求者です。日々、どうあるべきかを考え、そして実際に変化を起こしていくことは、何かを始めるよりも大変なことなのかもしれません。
良い意味で期待を裏切るような、とても面白い方達だったので、ぜひ紹介させてください!
立体農業とは?昭和初期、協同組合の父「賀川豊彦」の提唱した、中山間地の限られた土地に、果樹、家畜を有機的に取り入れ、空間を立体的に利用することで効率的に食べ物を生産する山村農業。(小井田立体農業研究所HPより引用)
お客さんは神様
私が農場に着いたのは、1月最後の週末、辺りもだいぶ暗くなってきた夕方の5時頃。
午後の作業スタートが5時半ということで、その30分ほど前に到着したのですが、15時の間違いじゃないだろうかとギリギリまで不安に思っていました。
しかし、やはり時間は正しかったようで、まもなくして3代目の寛周さんが現れました。
すぐに農場の中に入れてくださって、成り立ちから現在の経営体制までスラスラと教えてくださいました。色んな人がよく訪れるので遠慮せずいらしてください、との言葉通り、受け入れ慣れている様子でしたし、何者でもないのにたった一人でやってきた私を、心から迎えてくださっているのを感じました。
少しして、父 重雄さんもやってきて、ゆったりと作業が始まります。
重雄さんは、会ってすぐからあらゆることを説明しながら作業を進めていかれます。おしゃべり、という印象ではありませんが、でも結果的に話している時間を考えると話すことがかなりお好きなのだと思います。(笑)
重雄さん「うちは昔っから色んな人が訪れたんですよ。類は友を呼ぶ、というか、自分たちがやっていることを発信していれば、自然と人は集まって来ました。」
私「こんなに人を快く受け入れてくださるのは、昔からですか?お話聞いてると、やってきた人たちから色んな情報を受け取ってそれを糧にしてらっしゃいますよね。」
重雄さん「うーん、ただ単に人が好きなんですよ。こうやっておしゃべりするのが好きですし、そこで色んな話を聞けるのが楽しいです。結果的にそれが何かに繋がることもあるけれど、あまり考えていません。昔からそういう環境でしたしね。」
私「農家さんの中には余所者を嫌がる方とかいらっしゃいますけど、小井田家では違うんですね。」
重雄さん「うちでは昔から”お客さんは神様”。」
にっこり笑ってそう話す重雄さん。そしてこれは、サービス業などで使われるような意味合いではなく、出会いの素晴らしさを理解している方だからこその言葉なのだと伝わってきます。
写真に収まる時は仏頂面になる重雄さんですが、小井田一家は家族揃ってとても話しやすく、接しやすい方たちです。これは、これから農場を訪れる人にとってはありがたいことなのではないでしょうか。
実際、私のような若輩者の訪問に対してもとても丁寧に応対してくださいましたし、私の話に”学び取る”姿勢で耳を傾けてくれました。
私のように、何かをやろうともがいている若者にとって、人生の先輩方に敬意をはらって接してもらえることほど嬉しいことはありません。あらためて感謝したいです。そして、この記事の完成も楽しみに待ってくださっているので、頑張って続きを書いていきます!(笑)
ちなみに、重雄さんの妻 まき子さんのお料理もとっても美味しかったので、勝手におすすめしておきますね!
毎年1年生
現在は、牛を放牧して餌は粗飼料を与え、ニワトリに害虫を処理してもらうことで無農薬で胡桃の木を育てている小井田さんたちですが、昔は農薬がいいと聞けば農薬を撒き、乳がたくさん出ると聞けば濃厚飼料をたくさん与えていたそうです。
私「今のかたちになるまでは徐々にだったんですか?何かきっかけが?」
重雄さん「少しずつ変えて行ったのは確かですが、大きかったのは私が28歳の時に来た大和安志(やまと やすし)さんに言われたことが大きいですね。」
原発反対などの社会運動家で、犬一匹を連れて日本全国を行脚していたという大和氏のことはネットで調べても出てきません。しかし、重雄さんにとっては、これまでのやり方をガラッと変えることになるほど大きな影響を与えました。
重雄さん「餌をやってたら、”なぜこれを与えるんですか?”って濃厚飼料を見て聞くんですよ。だから、”これをやると乳量が上がるんだ”って答えたら、”たしかにそうかもしれませんが、(人間の食べ物をわざわざ牛に食べさせていることに対して)世界には飢餓で苦しんでいる人がいっぱいいるんですよ?しかもこれはアメリカで作られたものだ”って言われてね。カルチャーショックでした。疑問に感じたことがなかった訳ではないけれど、農業に関係のない人にそんなことを言われるなんて思ってなかったんです。」
当時は、濃厚飼料だけでなく、放牧も行っていなかったので、3日に一度は獣医がやってくるような飼い方だったといいます。くるみにも大量の農薬を使っていたり、今とは全く違う状況でした。
それが、昭和58年には、化学肥料から脱却。牛糞・鶏糞堆肥利用へ転換することになり、そのほかの項目も少しずつ改善していくことになります。
鶏の餌には牡蠣殻を加えてカルシウムを摂取できるようにしたり、水田に除草剤を撒くように指導されてもそうはせず自力で解決したり、仔牛には本で調べた発酵乳を飲ませたり、“研究所”の名に全く恥じない研究っぷりです。
大学時代、農学部の学生として、普段は堂々と講義をしているのに農家さんには全く頭の上がらない教授たちを見てきましたが(笑)、現場で常に頭と体を使って実験を重ね続けている人たちにはたしかに敵わないだろうなと改めて思いました。
私「変化を極端に恐れていたら前に進めないということですね。」
重雄さん「そう。人って一度始めたことを変えるってとんでもなく勇気がいるんです。だってそれまでの自分を否定することになるんだもの。それをできないから大概の人はだめになっちゃう。私はどうせやるのならな、という気持ちがあったし、自然とともに歩みたいという農業に対する思いがあったのでね。」
私「本当に色々なことを試しているんですね。」
寛周さん「もちろんそうです。誰もやったことがないから、何が正解かわからないですよ。(笑)」
当たり前のようにおっしゃいますが、正解がわからないことを日々探求していくことは決して簡単なことではないはずです。
重雄さん「だから毎年やることは違いますよ。毎年一年生(笑)」
私「そういうマインドになったきっかけとかはあるんですか?それとも小さい頃から?」
重雄さん「父(与八郎さん)が読書好きだったりして勉強家だったものですから、そこは影響されたと思いますね。父の良いところは認めつつも、反発を繰り返してここまできました。実は父は、くるみの接木の研究で農林大臣賞をもらって、日本一になってるんですよ。私はそこまではなれなくても違う形で…日本一ではなくても自分の中で日本一になれればなと。どこにもない農場を作ったらいいんじゃないかなと思ってやってきたんです。」
失礼ながら、ここを訪れる前は偉大な創設者の功績でここまで発展した農場なのかと思っていました。しかし、現在のやり方は2代目重雄さんによるところが大きく、考えを改めさせられました。そしてその精神は3代目寛周さんにも引き継がれています。会話の節々に、常に疑問を持ち、考えることが当たり前になっている人の風格を感じました。
自然に寄り添い、ともに歩む
搾乳作業中に、一際大きなお母さん牛が。
聞くと、分娩まで30ヶ月もかかったというから驚きです。これがどれだけ辛抱強いことかわかるでしょうか?
今の日本の酪農では、20〜23ヶ月辺りで分娩させる、つまり2歳にならないうちにお母さんになるわけです。これが普通です。それが30ヶ月!だいぶ長く待ちましたよね。
重雄さん「こーんなに大きくなっちまってねー(笑)」
ひどい言い方ですが、乳を出さない牛は穀潰し扱いされてもおかしくありません。種が付かないだけでなく、乳量が少なかったりして淘汰候補に上がることも酪農業界ではよくあります。
私「そんなに長い期間待ってもらえるなんて幸せなことですね。」
重雄さん「どうしても飼い続けられないこともあるけれど、この子たちは家族なんです。牛は10歳まではここで飼い続けることにしてます。」
乳用牛を10歳まで飼うというのも、かなり長い方です。この辺りでは長くとも7〜8歳までが普通だとか。大規模的にやっているところではもっと短くなるでしょう。
ちなみに、土の中にいる害虫を食べてくるみの木を守ってくれる役割を果たす鶏は、2歳半以降の産卵率が落ちた子を他の農場からもらってくるそうです。ここにも、動物たちを見捨てない小井田農場のこだわりが見えます。
重雄さん「うちみたいに放牧したり、ある程度スペースのある小屋で飼うってことはあまりありませんから、ここに来てすぐは歩けない子もいます。産卵率は少し落ちるけれど、ここに来ても2年くらいはちゃんと産んでくれるんですよ。」
私「動物たちと長く付き合っていかれるのは素敵です。」
重雄さん「農業っていうのは長いスパンで考えるものなんです。うちの胡桃の木だって、父(初代与八郎さん)が若い頃に植えたものが今にやってこのかたちに落ち着きました。100年スパンの胡桃の木に合わせて、一代で全てを成し遂げようとはせず、その年齢なりに自分のできることをやって後に繋げていく。これに尽きると思います。」
短期間ですばやく成果を出すことが求められる現代社会ですが、そういう今だからこそ深く響く言葉だなと感じました。今自分がやっている仕事が、100年後、かたちは変わったとしても残っているのか。立ち止まって考えるべきなのかもしれません。
私「農業だと、災害などで今までの努力が一瞬で壊されたりする瞬間があるんじゃないですか?」
重雄さん「30年ほど前に、台風で胡桃の木がドタドタ倒れたことがあって…その時はさすがにショックでしたけど、根っこが残っていた木は10年くらいしたら実がなりだしたんです。あのとき、切ってしまった木も残しておけばよかったと後悔しましたよ。」
お話を聞いていると、そこには自然への深い尊敬が感じられます。そしてやはり、長い目で自然と向き合っていることがわかりました。
農家だって、楽しよう
私「ご家族だけで経営されていて、大変なこととかはないですか?」
重雄さん「本来、農業っていうのは家族でやるものなんですよ。子どもは子どもなりに、年寄りは年寄りなりに、それぞれがやれることをやって生活していく。この辺だけじゃなく、日本はずっとそうだったんです。どこでどう間違ったか今みたいになってしまったけれど、もう一度元の形に戻ってもいいんじゃないかと思っています。世界でも、持続可能な農業ということで家族経営などの小さな農業が見直されています。日本はまだその動きに逆行していますけれど、、、」
私「むしろ日本のように狭い土地でやっている国こそ、小規模で複合的にやるべきですよね。」
重雄さん「そう、そのほうが絶対理にかなっているし、無駄なエネルギーを使わなくて済むんです。」
寛周さん「アメリカのような広い土地でのやり方を日本が真似するのはちょっと違うんじゃないかと思いますね。」
重雄さん「日本という一つの国の中でも、土地ごとに特徴は違います。場所によっても、人によってもやり方は違っていいんですよ。」
また、日本の多くの酪農家は、国の政策に従うことによって結果的に厳しい労働条件を強いられることになっています。そのことについても、小井田さんたちは否定はしませんが、むしろもっと楽に働ける農家が増えればいいと願っています。
重雄さん「日本の多くの農家の働き方を否定したいわけではありません。でも少しずつでも自分たちのようなやり方が浸透していったらいいなと思っています。」
胡桃の出荷作業がある冬場など忙しい時期はもちろんありますが、小井田農場では人間が余計な手を加えず、動物たちの力を借りながら効率的に働くことで”マイペース”な働き方を実現しています。
朝の作業も、7時半頃からゆっくりと開始。農家はなんでこんなに早起きしないといけないんだろうと疑問に思っていた私も、想像以上に遅くて驚きました。(笑)
重雄さん「今のやり方がいいのかどうかとか、考える時間は絶対的に必要なんです。作業に追われたり、きつい働き方をしていてそういう時間が取れないようでは結局何も進みません。」
現在は重雄さんと寛周さんの二人体制で回しているので、交代で遊びに行ったりもできるのだとか。最近だと、GoToトラベルを使って夫婦水入らずで男鹿半島(秋田県)に旅行に行ったそうです。寛周さんも趣味のキャンプに行ったりしているそうで、ゆとりのある生活をされていて素敵だなと感じました。
変わり者だけど、アウトサイダーではない
小井田さんたちは、近隣の農家さんたちの中でもかなり変わった部類に入るやり方で農業に取り組まれていますが、けしてアウトサイダー的な存在ではありません。
私「近所の方たちとはどんなふうにお付き合いされているんですか?」
重雄さん「変わり者だとは思われてますけどね。(笑)でも、息子(寛周さん)は消防団に入っていますし、私は郷土芸能の神楽を子どもたちに教えたりもしてるんですよ。神楽の甲子園に子供たちを連れて行ったりね。」
まき子さん「家族の間では、神楽の先生が本業で、こっち(農業)はついでだって言ってるんです。(笑)」
寛周さんはその他にも、オドデ塾という地域おこし活動をする青年会に入っているそうです。
農業をする上で、地域との関わりは非常に大切です。土や水といった自然資源は、地続きで密接に関わっていますし、いざという時に助け合える人が近くにいないと困ることは多いからです。
重雄さん「やっぱり協力し合わないと生きていけないですから。一銭にもならないボランティアのような活動もたくさんありますけど、お互いにそうだとわかりながらもちゃんとやってますよ。」
第一回の黍原さんも仰っていましたが、地域の中で貨幣ではない循環があることは、私が想像する以上に大切なことなのかもしれないと感じました。
消費者とつながる
翌朝、午前の作業を終え、出発前に朝食をいただきました。
食事中、重雄さんが電話で席をたちます。戻ってきた重雄さんは「東京の、〜〜さんからだったよ。」と寛周さんに一言。
伺ってみると、なんと、20年以上電話で直接購入をしているお客さんからだったとか。
私「すごいですね。電話でやりとりしてる方もいらっしゃるんですか?大変でしょう?」
重雄さん「電話でやってるのは20件くらいですかね。これくらいならそんなに大変なことではないですよ。お客さんの顔や様子を知ってるというのは大事で、売ることだけに囚われちゃいけないけれど、お客さんの様子もわからないようじゃ作り手としてはだめだと思っています。」
長く付き合いがあり、直接やりとりをしているお客さんは、豊作・不作といった年ごとの違いを理解してくれたり、食べた感想を伝えてくれたりするそうです。小井田さんたちが、お客さんと信頼関係を築くことも大事にされているのがわかります。
昨年からは、寛周さんがポケットマルシェというネット通販サイトでの販売にチャレンジしていて、このサービスもお客さんと直接メッセージを交わせるようになっています。テレビで話題になったりすると一時的に注文が殺到することもあるそうですが、小井田さんたちが大切にしているのは、あくまで直接届く声。これからも、できる範囲で小さな工夫を積み重ねながら、着実にお客さんに良い胡桃を届けていかれるのでしょう。
弛まぬ試行錯誤の成果なのか、今年はこれまでで一番の豊作だったといいます。しかし、これが来年も同じ結果になるとは小井田さんたちは思っていません。農業は長いスパンで見るものだから。いいときもあればわるいときもあります。
自然に寄り添い、動物たちの力を借りて無理なく働きつつも、人間らしく、考えることをやめない小井田さんたち。自分の世界に閉じこもらず、人との出会いを大切にして、そして、自然に問い直す。小井田さんたちの「今」は、けして偶然辿り着いたところではないのだと、お話を聞いていて強く感じました。
最後に一番大事なことを。「手打ちくるみ」の美味しさにはびっくりします。ぜひ!!!
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