世界一ステキな妖精の話

せシうだ
こんにちわ、せシうだ(@seshiuda6162)です。

(記事を読み始める前にこちらをどうぞ)

この記事は、私の馬術部時代の相棒である馬の話です。名前はシルフ。

以前、彼の誕生日にnoteであげた記事をブログ用に書き直して再掲したものです。ちなみに、タイトルの「妖精」というのは彼の本当の名前がある妖精にちなんでいるからです。自己満ですが、当時1ヶ月以上かけて、何度も挫折しながら苦労して書いたので、ぜひ読んでいってください。

目次

人生初の一目惚れ

シルフはツヤツヤとした栗毛で、私の大学の馬術部が所有している馬の中では一番大きな子でした。新入生ワークショップで実際に馬を見たときに一目惚れしてしまって、「私この子が好きです!!!!!」と先輩に言ったら結構驚かれた…なんでも、当時いた馬の中で、彼は断トツの不人気だったらしい。人嫌いで、咬癖(コウヘキ:人や他の馬を噛んでしまうという悪癖)持ち、大きいので初心者には乗りづらい、馬着(馬の防寒着)を着せるときに死に物狂いで暴れるので人も死にそうになる、頭部が大きく体のバランスが悪いので普通の馬を乗りこなすのとは別のテクニックを必要とする……などなど、今考えたら結構やばいですね(笑)なんでこんな問題児を溺愛してたんだろうわたし。

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でも私としては、昔から大きな動物が好きで、そういう大きな動物をガシッと抱きしめて愛でるのが夢だったので、大学生になって彼に毎日会えることになって本当に本当に嬉しかったんです。しかも、「馬術」というスポーツを通じて、ただ近くで過ごす以上の絆が人馬の間にうまれるというのを先輩を見て知っていたから、私もシルフとそんな関係になりたい!!と強烈に憧れてしまいました。もうこれは恋(笑)

濃ゆい先輩たちと私とシルフ

そんなかんじで、入学早々に馬にフォーリンラブしてしまった私は、その後4年間、シルフ中心の生活を送るようになりました。

どこの大学馬術部にもたいてい担当馬制度があって、自分が担当することになった馬のお世話をその人が毎日おこないます。お世話というのは体を洗ったり餌をあげるだけでなく、実際に騎乗して馬のその日のコンディションに合わせた練習メニューを組んだり、脚の状態や体温を参考に体調管理をすることも含まれます。また、同担(オタク用語みたい笑)の後輩の指導も重要な仕事。私はもちろんシルフ担当を希望し、あっさり受け入れられました。倍率は1倍だった(あ…)

シルフ担当の先輩は私の入部当時二人いて、3年生で圧倒的実力者のS先輩と2年生でちょっとひねくれ者だけど世話好きのT先輩。そして、シルフ担当が不人気なのはこの先輩方の影響も多大にあったと思う(笑)シルフ同様、癖が強すぎる。S先輩は馬への理解も深いし乗るのもとても上手くて勉強になるけど、だからこその完璧主義者でこわい先輩NO.1。T先輩もその影響を受けてなかなか言うことがきつかった〜、愛ある鞭なのはわかっていたので全然つらくはなかったけど。私はとにかく上手くなりたかったし、癖はあるけどシルフのことを第一に考える先輩達をかっこいいと思っていたので、担当になれてとっても満足していました。

S先輩とT先輩と生意気な1年生の私(生粋の先輩っ子)で送る、シルフ担当生活は色んなことがありながらも順調に続きました。主に私が怒られてただけなんだけど(笑)前述したとおり、シルフは咬癖持ちだったので、彼の動きの特徴をつかむまでの1年間、体のあらゆるでっぱりを噛まれました。鼻(ほぼもげたといって過言ではない)、胸(本当に痛かったし、肌が変色してなかなか治らなくてマジで焦った…)、腕(数えきれない。うん、ほんとに数えきれない)、腹(贅肉にダイレクトアタック、表面上はバレてないはずなのにそこを見抜くなんて、、、)などなど…。咬まれてないところはないんじゃないかってくらい咬まれまくりました。

ここまでシルフのいいところを1個も書いてない(笑)書きます!

シルフは人嫌いだけど、受け入れた人間に関しては「俺の(世話係)」という独占欲をみせます。これがファン(ファン?)(という名の奴隷)にはたまらない。

雨が好きで、水溜まりを歩かせるとチャプチャプ音が鳴るのに合わせて足踏みをします。雪が降った日はテンションが上がって部屋から飛び出てきます。人嫌いなくせに、近くで別の馬がチヤホヤされていると嫉妬して背を向けます。周囲が騒がしいのに自分だけ落ち着いていると、謎のドヤ顔を見せてきます。自分の体が大きいことについて無自覚で、謎な部位を怪我していたりします。一人でいるのが好きなくせに、緊張しているときはピタッとくっつくことを許してくれます。いい演技ができた後にぎゅっと抱きしめると鼻をふがふが鳴らしながら照れます。

犬とか猫の話にきこえませんか??そうなんです、馬ってよく見るとほんとうに表情豊かな生き物なんです。くだらなくて愛おしい、シルフとのひとつひとつの思い出すべてが私にとって宝物です。

はなむけの一勝

私が2年生に進級してすぐ、T先輩がとある事情で部活を辞めることになりました。そのことについてはいつか綴レたらと思います。

二人きりになったシルフ君組(私が無理を通しただけで本来担当馬制度に組み込まれるのは2年生からなので同じ組の後輩はこの時点でまだいない)は、他の組よりもかなりぎこちない雰囲気になりました。S先輩は組内だけでなく、部内でも重要な立ち位置にいて、さらには他大学に信者がいるほどの実力者。一方でそんな先輩の子分であった私はというと、熱意と勢いだけでセンスは皆無。A先輩のもとめる基準に全く達していませんでした。私にとって先輩は「S先輩の後輩です!」というのが誇らしい存在だったけど、先輩にとっての私はけして自慢の後輩ではなかったでしょう。

同期たちは、小さいながらもたしかな勝利を積み重ねていく中、私はいつも中途半端な成績ばかり。偉大な背中を一番近くで見させてもらっているのに、大好きな馬に毎日乗せてもらっているのに、なにひとつ進歩がないことが、情けなくて悔しくて申し訳なくて。

そういうときに、私のモチベーションになってくれたのはやっぱりシルフでした。「私が少しでも上手くなればシルフも気持ちよく動けるようになるんだ」、「私が下手なままではシルフに迷惑がかかるんだ」、シルフにパートナーとして一人前だと認めてもらいたいという気持ちが、どんなに毎日へこんでも努力し続ける糧になりました。

もう少しで3年生になろうとしていた3月半ば、その年最後の大きな大会が迫っていました。私と2学年差のS先輩は、あとは卒業式を控えるのみの引退した身。ここで良い姿を見せられなければ安心して旅立ってもらえない、絶対に今までの恩返しをするんだ。今まで一度もまともに試合で勝ったことがない私が勝てる見込みは、普通に考えたら薄かったけれど、後に引けない意気込みとよくわからない自信に支えられて私は初勝利をおさめました。先輩はとても喜んでくれたけど、驚いてはいませんでした。今考えれば、信じてくれていたのかな。

自分の強み

S先輩が卒業してシルフ組最上級生となった私は、その後も何度も壁にぶつかりました。まあとりあえず進歩しない、毎日下手くそ。自分はなんでこんなに下手くそなんだろう、本当にセンスないな。

3年生で挑んだ二度目の地区大会は、それはまあ地獄でした。同期が全国大会への切符を手にし、私は本番まで半年間彼女のサポートをすることになりました。毎日馬に乗ることはできたけど、積極的に乗ることはせず自分から馬を遠ざけ、練習量が増える週末は逃げるように毎週馬バイトに行って遠征費を稼ぎました。なにかをやっていないと悔しさで頭がおかしくなりそうで、馬車馬のように働きました。

この頃のシルフとの思い出は鮮明ではないけれど、成長しない私を、それでも毎日我慢して乗せてくれていたことには本当に感謝しています。私だったら蹴っ飛ばしてるわ(笑)

これだけ下手くそで、毎日自分が嫌になるのに、それでも絶対やめたくないと思えるのは、結局私は馬術が好きで、馬が好きで、シルフと離れたくないから。ごめんね、もうちょっと待っててね、絶対に上手くなるからね。練習が終わる度にシルフにそう誓って、毎日をやり過ごしました。

同期の全国大会への挑戦が終わり、冬になりました。この頃の私には、よくわからない(またしても笑)自信が身についていました。半年間、部のために貢献してきた、選ばれた選手に負けないくらい部のために尽くしてきた、そういう技術云々とは別の自信。そしてそれは、結局私が馬がどうしようもなく好きだから、という理由に集約されていました。開き直れたのもこの頃。自分の実力のなさに悩んで悩んで悩み抜いて、ある日突然「別に下手でもいいじゃん!」と言えるようになりました。だって好きなんだもん!!!!!

そして、だんだんとこれが自分の強みなんじゃないかと思い始めるようになりました。下手くそでもセンスなくても毎日怒られて泣いても、馬が好きでやめられない。まあ馬をやってる人ってだいたい皆こうだとは思うけど、私にとって絶対消えない「好き」が自分のなかではっきりとかたちになったのでした。それはシルフといるとより鮮明になりました。

一緒には戦えない、でも君のために戦う

入部した頃からの夢がありました。S先輩や同期が出場した全国大会は、馬を指定せず、人の技量だけをみる大会。つまりは人の大会です。もちろんそれでも勝ちたかったけれど、それではなくて、自分のパートナーとなる馬とペアを組んで出場する人馬の大会。これにシルフと一緒に出てみたかった。

でも、私の部の方針として、人の大会の方のみに力を尽くす事がここ数年の流れになっていました。というのも、人馬の大会は人だけでなく馬にもハイレベルな技術が求められ、それは数年かけて人と馬両方に仕込むものだからです。シルフはもともとこの大会向きではなく、私もそれを補えるような突出した技術がなかったため、誰に相談してもむずかしいだろうと言われました。でもやりたい。

少しずつ練習を重ねて、先生にも見てもらって、動画を見返して、YouTubeで上手い人の演技をみて…周りが諦めていても私は諦めたくありませんでした。1%の可能性でもあるなら、最後までやってみたかったからです。

大会まであと2ヶ月。切り出すギリギリのタイミングで、私は先生に大会に出たい旨を伝えました。直接いう勇気がなくて、毎日会っているのにわざわざ電話で。

答えは、NOでした。予想していたし先生も真摯に答えてくれたけど、それでも涙がとまらなくて、心が削がれたような気がしました。

どん底まで落ち込んだけれど、それでも私にはまだシルフといる術がもう一つ残っていました。人の大会で勝ち残ることです。一晩泣きまくって、翌日からまた練習に励みました。…ちょっと強がったかもしれない1週間くらいは練習しながらも引き摺ってた笑

結局、人馬の大会用に練習した演技を正式な場で披露することはなかったけれど、この経験は確実に私のためになりました。学生馬術最難関の演技を練習していたんだから当然です。それ以外のこと、つまりは人の大会でおこなう演技が俄然簡単に感じてやりやすくなったし、広い視野を得ることができました。それに、もう手段が一つしかなくなったことで、逆に覚悟が決まりました。むずかしい練習に辟易しながらも、なんやかんやで付き合ってくれたシルフには頭が上がりません。

そしてとうとう、私にとって最後のチャンスの日がやってきました。大会は2日間かけて行われます。日程的に、毎年私の誕生日を跨いで行われるという地獄(笑)勝てば最高の誕生日になるけど負ければお通夜です。2,3年生のときは2回戦で負けたので、辺り一帯を私がお通夜にしました(笑)ごめんよみんな、、、

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4年生、最後のチャンスだというのに、直前まで私はボロボロで、自分史上最も下手なんじゃないかってくらいのスランプ(言い訳くさいからあんまりこの言葉好きじゃないんだけど)に陥っていましたが、ここでもシルフは私の支えでした。

人馬の大会には出られなくても、人の大会で勝ち抜いて引退を引き延ばせられれば、シルフに乗り続けることができます。一緒には戦えないけれど、彼を想って戦うことはできる。

本当に最後の最後までボロボロだったし、下手くそが上手くなったわけでもないけど、強運とちょっとの実力と重ねてきた経験値のおかげで、私は全国大会の切符を手に入れました。

突然やってきた、最後の1ヶ月

馬は暑さが苦手なので、うちの部では夏はちょっとした休養期間です。もちろん普通に練習するけれど、どちらかというと、春の地区大会の疲れを癒して秋にある全国大会に備える期間。

そんな少し緩んだムードのある日、私はシルフを馬場脇の木が生えているスペースに放牧しました。道路も近いので多少リスクはあるものの(車の音にびっくりして暴れる可能性があります)、シルフはこのスペースがお気に入りで、私もここでくつろぐ彼を見るのが好きだったので時間があるときはここに放すようにしていました。

しかし、時間になって、シルフを迎えにいくと様子が変です。いつもなら「もう十分遊んだよ」とこちらに寄ってくるのに、私の方を見つめたまま動こうとしません。なにかおかしいと思って歩かせようとすると、歩かないのです。正確には歩けないようでした。左後ろの脚を引きずっていて普通に引っ張るだけでは痛みで歩けそうになかったので、鞭で叩いて無理やり厩舎まで帰らせました。

すぐに先生を呼び、翌日には獣医さんにも診てもらいましたが、痛みの原因は分からず、とりあえずの痛み止めを処方して様子を見ることになりました。

シルフは今までにも何度か大怪我をしていますが、今回の怪我はこれまでのものとはちがうと私も気付いていました。馬の脚は文字通り生命線です。500㎏もの体重を4本の脚で支えているのでひとつの脚にかかる負担は100㎏以上。そのひとつでも使えなくなると他の脚への負担が一気に増し、膿んだりして、本来の怪我以外の症状も出てきます。シルフの体は、怪我を治すためにかたくさんの熱を出し、常に汗だくでした。普段は堂々としてたいていのことには動じないシルフが、明らかにこちらに助けを求めていました。

そこから一週間、シルフ組の後輩と二人で必死の看病が始まりました。幸い、大学は夏休み期間に入っていたので、おおきな用事もなく、毎日朝から晩まで厩舎で過ごしました。数時間おきにマッサージをして、扇風機をあて、薬を塗って、側にいて励ましました。自分の体重の10倍以上ある動物にマッサージするのは体力のいる仕事ですが、少しでも彼のためになることをできるのはこのときの私にはむしろ救いでした。

一週間経ち、シルフは少し引き摺りながらもだいぶ歩けるようになりました。でも、喜ぶことはできません。人のもとで生きる馬には「生産性」が求められます。

私たちの部における、馬の価値は「どんな学生も乗せられて、簡単な練習からある程度高度な練習までを、1年間を通してコンスタントに続けられる体力と能力があること」です。所属する牧場によっては、ただ数分人を乗せてのんびり歩ければよかったり(観光牧場など)することもありますが、うちも含め、たいていの厩舎は馬がいることによる利益がある程度なければ世話し続けることができません。どんなに願っても、人と馬を最後につなぐのはお金です。

シルフが「いらない」レッテルを貼られないよう、それからも私はなるべく彼に尽くしました。長い時間はかけられません。酷な言い方をすれば、怪我をしてまともな動きができないことは穀潰しです。早く良くなる見込みがなければ淘汰が検討され始めます。全国大会に向けた練習を進める一方で、毎日彼を看ました。でも、2週間たっても、劇的に回復することはありませんでした。

恩師でもある先生から、馬を出す(別のところに移したり、場合によっては淘汰も)ことをうっすら言われるようになりました。淡々とした口調でしたが、その言葉がけして冷たい響きを持っていないことは私もよく知っていました。先生は70代半ばの高齢ですが、毎日朝夕、シルフの様子を見に来て、学生が大学やバイトに行っている間の馬の世話をしてくれていました。私以上に彼の体調を観察して、良くなる兆しはないか、目をひからせていたはずです。そんな先生がそう言うなら、シルフはもううちの部にとって「いらない」になってしまったんだと悟りました。

私はシルフにたくさんのものをもらったのに、いざという時何もしてあげられない。あのとき、あそこに放さなければ…この気持ちはいつも私の中にありました。責められることはなかったけれど、あのスペースがある程度のリスクを伴っていることはわかっていたし、それを承知で放したのは他でもない私でした。

シルフの次の預け先を決める段階に入りました。うちの部では伝統的に、出すことになった馬はすぐには淘汰せず次の行き先での判断に委ねる、また学生には行き先は伝えられないことになっています。これは長い年月、人と馬との別れを見てきた先生が、学生に精神的な負担をかけすぎないようにするために考えたことでした。そして出すまでには、馬と、次の牧場への礼儀のためにしっかりと手を尽くすというのも決まった方針でした。

何もしてやれないからこそ、やれることはしっかりやる。当たり前のことだけれど、その言葉を言ってくれたことが、愛馬と最後まで一緒にいられない私にとってはひとつの救いでした。馬のことはビジネスパートナーと断言する先生が、優しさだとは絶対に認めないその情は、あえて言葉にするなら「誠実さ」。そんな先生の姿勢を見習って、私も最後の日までしっかりとシルフを世話することに決めました。

シルフとの別れの時期はだいたい予想していたものの、それでも突然やってきました。皮肉にも、私が別の馬で過去最高成績を叩き出し優勝した大会の翌日で、県外に就職していたS先輩も呼んで、シルフに関わった多くの人によって盛大に見送られました。運ばれるときは馬運車という車に乗るのですが、車に乗るという非日常なことに馬が怖がらないように直前までハッピーな気持ちで過ごさせることが私の最後の仕事でした。3年半、だてに相棒をやっていたわけではありません。どうすればシルフが落ち着くか、雰囲気づくりや時間の過ごし方まで理解していたので、この仕事は完璧にできたと自負しています。

ほとんど戸惑うこともなく、秋空の下、シルフは晴れやかに旅立っていきました。

シルフがいなくなって空っぽになった馬房

なくても、ある

シルフに少しでも長く乗っていたくて勝ち取った全国大会の切符は、彼にもう乗れなくなったその後も、当然私の手の中にありました。大会まであと2ヶ月。後輩の練習量を削ってまで部活に残り続けている私は、もちろん頑張り続ける必要があります。今まで、なにかあれば「シルフのために」と頑張ってきた私は、もうその理由がなくても大切にしたいものがたくさんできていたことに気づきました。

もちろんつらい。でも私は一人じゃない。

シルフに培ってもらった技術、体力、人間性、すべてが4年生の私を支えてくれていました。

11月の終わりに開催された、全国大会。結果は一回戦敗退でした。戦って敗けた相手が結果的に優勝したので、相手が悪いといえばそうなんですが…。私がこの大会で一番やりたかったことは、支えてくれた人たちに感謝を伝えることだったので、少なくともそれは達成できてよかったと思います。

好きに終わりはない

今振り返ると、結局私は最後まで馬術が好きで、馬が好きで、好きで好きで好きで。引退するとき、晴れやかな気持ちもあったけど、私の中にはまだまだ貪欲な向上心があって、それが自分のことなのにどこか他人事で、嬉しくもありました。入部当初、馬にまたがるだけで心が浮き立って、毎朝4時に起きるのもつらくなくて、ほとんど遊びもせずに4年間駆け抜けてきたけど、4年たってもその熱がおさまらない。好きなことに終わりはないんだって感じることは希望です。そして、それを教えてくれたのは間違いなくシルフでした。本当にありがとう。

シルフのことだけを綴る記事にしたかったのに、自分のこともたくさん書いてしまったな、、、まあ私とシルフは人馬一体なのでしょうがありません!!(笑)

この記事は完成させるまでにかなりの時間を費やした正真正銘「熟成下書き」なので、ここまで読んでいただいたのなら本当に嬉しいです。なにかしらの熱を感じていただけたなら、ぜひその気持ちを身近にいる大切な存在に向けてほしいと思います。

シルフ、今年も誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。

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はじめまして、管理人のせシうだです。
好きなことは馬と農業です。

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